出雲峠
広島県民の森は島根奥出雲町と広島県庄原市の県境に位置する登山コースです。主施設の公園センターを中心にぐるっと千メートル級の山々に囲まれ、春・夏・秋と登山客やレジャー客などで賑わいます。最高峰の立烏帽子(1,264m)や牛挽山、毛無山、島根県境に位置する吾妻山、またイザナミが祀られる比婆山御陵や登山口となる麓の熊野神社など古代から往来があったと思われるエリアです。山々は豊かなブナ林に包まれ多種の野鳥が見られ、四季を通じて癒されます。またスキー場も併設しており、冬はスキー客で賑わっていますが、ここ数年の雪不足と新型コロナウイルスの影響なのか宿泊やレストランを営業する公園センターは今夏より休館しています。 公園センターから40分程歩くと、毛無山方向と比婆御陵方面へ別れる三叉路が出雲峠です。名前の出雲へ向かう道は見当たりません、直進はヤブコギなので不思議に思っていました。 先日別ルートの奥出雲町横田から吾妻山へ向けて歩いて気づいたことに、途中までは車の通行が出来るほど広くなっていますが、出雲峠からは当道につながっていた痕跡を発見しました。出雲峠からの道は絶え、別ルートになってしまったようです。 今はオロチループを経由する国道314号とJR木次線もほぼ並走していますが、神話の時代から人や物の交流はあったはずで、特に製鉄の集積地として栄えた奥出雲から山陽に続く道だったのではないかと想像します。 明治以降、鉄道が整備され、昭和の初期に木次線は陰陽を結ばれ交通手段が革命的に変わりました。さらに約100年前に自動車が登場してから、戦後国道314号は陰陽を結び、そのため人馬で往来した出雲峠は便利な交通に代わって寂れてしまい、名前だけが残ったのが私の推測です。 私が愛用するiPhoneは5G対応の機種が先日発売され、情報化は加速して私たちの生活に侵入し、ビジネスも変えていますが、人や物の往来はどのように変化するのでしょうか。道路も利用しない大型のドローンが飛び交うかもしれません。(や)
名古屋からみた島根、鳥取
日本の白地図を机に広げて栃木、群馬、茨木の位置を正確に示すことができますか?佐賀、長崎、熊本ならどうでしょう?いささかクイズのようでありますが、「鳥取、島根、山口」の山陰3県は名古屋生まれ育ちの私から見ると、正確に位置を理解している人が少なく、言い当てるのが最も難しい場所の上位に名前が上がる所という印象かも知れません。 名古屋から島根、鳥取は地理的に遠く交通手段も限られているので、この両県に接点を持つ人が少なくよく知らないのは仕方の無いことで、反対に島根、鳥取の方に言わせれば、名古屋は分かるけど三重、愛知、岐阜の区別がはっきりしないということなんだと思います。 私は歴史小説を読むのが好きですが、ある作家が「歴史小説で扱える題材は信玄、信長ぐらいまでで、それ以上に遡るとちょっと古すぎて難しい。」というようなことを書いていたのを読んだことがありますが、石見銀山、出雲大社、白兎海岸、鳥取砂丘などの島根、鳥取を代表する観光名所は、石見銀山を除いて縄文、弥生時代に由来するもので、出雲神話や日本書紀の話は確かに現代の日本人にとって少し難しい題材になってきたように思います。 少し前に大阪の堺市で仁徳天皇陵などの百舌鳥古墳群を観光で回りましたが、これまで古墳に興味はあったものの古墳時代の知識は中学、高校の教科書程度のことばかりで、ほとんど今回の観光で初めて知りました。 何に興味を持つかは人それぞれですが、神話の世界はちょっと敷居が高く、名古屋の人にとって島根、鳥取を観光で訪れるのは勇気がいることと感じますが、神話以外にも㏚するものがもう少しあれば、もっと沢山の人が観光で訪れるようになるように思います。 じゃあ、名古屋には何があるの?と聞かれそうですが、「名古屋には何にもにゃ~です。」(おお)
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